| なぜ絵を描いているのか
人は一人で多くの社会的役割を担っている。仕事以外にも、妻や夫であったり、親であったり、また友人として地域の住民として、数多くの役割をその場その場でこなしている。ともすれば、本当の自分が何であるか、忘れてしまいかねないほど多忙な生活の中で、自己の独自性を保つには「何者でもない私だけの為の私」という空間が必要だ。だから私は描き続けていきたいと思う。
「時を止めたい。特に楽しい時や、特別な興奮に出会えた時など、誰もがそう思うでしょう。」舞踏家リンゼイ=ケンプの言葉だが、私も自分の「今」を植物の形象に手助けを得ながら、描きとめることで表現して行きたいと思う。時は絶えず前へと進み、今と言う時は二度と無い。扉は開かれる為にあり、作品の中で私は時の扉を自由に出入りできる。 記録と構成、意志の伝達と創造。これらを繰り返しながら、一人遊びにも似た私の作業は続く。
極私的に言えば描きたいという衝動に駆られる時、私はいつも孤独を抱えている。
本当に家族や恋人に見放されて、世界の中でたった一人、寂しく生きているかどうかは別として、夜のしんとした 部屋で、いつまでもいつまでも、誰とも分かり合えないのではないか?と言う不安の中で、これでもかと考え、悩み、そして描いている。義務・責任・愛情・何もかもふり捨てた、私だけの幸せな…孤独の時間がそこにある。
作品に対して
自然の中で滅びないものは無い。形あるものも無いものも、必ず変化して自然の循環のシステムにもどる。あらゆる生物は人間も含めて有限であり、環境の中で共生している。そんな自然の一部としての自分を捉え画面の中に具体的な形象である植物と、精神性を表す抽象的な形態を構成している。
道の端に太陽の光を浴び、可憐に咲いている花を見れば、忙しさにかまけている時も優しい気持ちになれる。私は花が好きだ。柔らかく、いい匂いで、綺麗な色をしている。形も様々な形をしていて、いくら見ていても飽きることがない。また自分にとって身近であり、描きたいという欲求がすぐに実現出来る。自然を自分の中に取り戻したい時には花をじっくり描く。この事が私には一番合っているようだ。見つめていたいと言う気持ちで描く花は、画面からはみ出してしまう。
花はその形、構造、触感、匂い、色など全てにおいて興味深い。文学の中にも象徴的に取り上げられたり、絵画や工芸やデザインの場でも主役や名脇役として存在感を出している。私としては、繰り返し描き続けたいモチーフだ。そして構図の取り方は、一つの花を大胆に、かつ繊細に描き、色は美しい色、心に響く色で描くのが私のスタイルだ。
なかでも色について、特別な思いがある。花の中でも、濃い紫の朝顔が特別美しいと感じ、繰り返し描いた。深みのある、謎めいた色。大人の色と言える。
実はずっと長い間、淡いピンクをベースに、うすいブルーや藤色が綿のように微妙に交じり合った花の色が好きだった。しかし今は違う。生活のスタイルや、感覚、ものを見る目、論理性が私の色を変えた。
|